新技術への大きな期待 2
この技術は、まったく新しいものだったので、1974年当時でも計り知れない可能性を秘めているとはいえ、実績のない目新しい研究上の技術にすぎなかったのです。
両社が資本を集めていく一方で、専門的なわけのわからない言葉を操って人々をだましているのだと決め付ける批判家も出てきました。
これに対し、両社は、資本を投じた科学は、ほんの4年前に生まれたものにすぎず、さらに数年の時間とお金をかけさえすれば……と反論しました。
そして1977年、懐疑論者を動転させた事態がもちあがります。
スタンフォード大学の教授ボール・バーグは、この技術の開発者の1人であったのですが、その技術を利用した会社の創設者ではありませんでした。
その彼が、潜在的に危険な(当時はそう信じられていた)この新技術が実際に何か役に朔つのかどうかを調査していた上院小委員会に召喚されたのです。
組換えDNA技術に対する米国政府の規制は、1977年に岐路にさしかかっていました。
新技術の安全性に関する議論は項点に達したのですが、その一方で、有用な成果はいまだ何1つ出ていませんでした。
そのため、大衆は全面禁止を要求していました。